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01.神話は成層圏で生まれる1

地球・惑星パラダイムシフト

 ヘナチョコ神秘学読者の方なら、地球が「今」次元の転換点だとは、どちらかで見聞きなさっていることと思います。私も、そう感じています。特にコロナ禍を経て、ますます「そんなふう」に感じておられる人が急増したのではないでしょうか。

 たぶん「今が転換点」という気風は、いつの時代でもあったように思いますが、コロナ禍が世界を席巻したことで、今までの常識を疑問視することの方が、むしろ常識になったり、本格的な価値観のシフトや転換があちこちで起きているように思えます。

 ヘナチョコ神秘学概論のはじまりは、このパラダイムシフトについて、惑星とヒトの変容という観点から、神秘学的にはどんな捉え方ができるのかを、順を追ってお話ししていきたいと思います。

変容のはじまりに

 青虫がさなぎになり、蝶々になる。これらは、蝶の生態における「変容」と呼ばれるものですね。変容が起こるべきものについては、必ず起こります。もちろん、さなぎの状態から蝶になるのが待ちきれない子供が、さなぎの皮を剥くようなことをすれば失敗します。外敵に襲われても、失敗します。しかし「機能」という観点でみれば、青虫は、必ず変容します。青虫にとって、さなぎにとって、変容は必定ですよね。

 このことと同じことが「地球」自体に起こっているとは考えられないでしょうか?

 地上が一皮剥けて、内側から、輝ける惑星が生まれるーーとか。

 まあ、文字通りのようなことはないでしょうけど、今までと同じ「惑星」とは、何か違った星に「変容」するということは、ありえないでしょうか?

 このヘナチョコ神秘学概論の世界では、これを「ありえる」と仮定するところからはじめます。ええ、もちろん、こんなことは証明できるわけがありません。もっともらしく仮定をしたところで。当然です。しかし、このヘナチョコ神秘学の世界観では、この荒唐無稽な仮定を肯定するところからはじめます。

 ですから、ここからは、荒唐無稽論なるものを聞いてみようーという方のみに向けてお話したいと思います。この段階で「残念…」と思われた方は、どうぞご退室ください。単に相性の問題だと思いますので、ご遠慮なく。

 一方、「おもしろそう!」と心の触手が動いたアナタには、この先、だいぶん楽しんでいただけるはずです。荒唐無稽ではありますが、奇想天外にレポートは展開してゆきます。読み進めるうちに、おそらく、あなたの空想の翼が旅立ってゆくことでしょう。読者さんに、うっとりフムフムな読後感を与え、あなたの中の「論」が紐解かれることも意図して書いております。存分にお愉しみいただけましたら嬉しく思います。

地球全体のパラダイムシフトが招かれている背景

 2016年のある日、私は「神話は成層圏で生まれる(展開する)」というフィーリングを受け取りました。

 フィーリングと同時に、何か、全体像が見えたような気がしました。それについて、お話したいと思います。

 成層圏というのは、ご存知のように地球を取り巻く大気の層のことですよね。私は、その存在を、直接的に眺めたことはありませんので、本当の意味で知っているわけではありませんが、知識としては学んではいます。

 ここに「神話」が展開されているというのは、どういう意味なのでしょうか?

 神話とは、各国に存在する国のルーツであったり、国土の成り立ちや、自然の摂理を擬人化(擬神化)したものとされていますよね。それぞれの地域の為政者によって、都合よく改ざんされたものも多く、実際は手垢にまみれているものも少なくないとは考えられます。スタンダードとされる世界の神話(正史)は、そう言う意味では「勝者側の一方的な歴史」と言えるでしょう。(ちなみ本当の意味で歴史を学びたければ、風土記とか、あるいは読み人知らずのような、名もなき小史を紐解く方がリアルさに近づけるかもしれませんね。)

 勝者によって編纂された書ということを差し引いたとして、それでも、世界に散らばる神々の記録…神話には、不思議な共通点が散見されます。「母神から生まれ、その母神と結ばれる男神」とか、「神がどこかを洗ったら、そこから神が生まれた」とか。

 内容は、あんがいえげつないものも多いですよね。特にギリシャ神話に数多く見られるのが、無理やり女神(人間の女性も)を手篭めにして神(子供)ができた…なんて話。最高神とされるゼウスさんは、神の変幻自在性を乱用してやりたい放題感が否めません。

……いやいやいや、ここでは、物語性や神話の善し悪しを問うているのでは全くなくて、あるいは、人間の本性を暴きたいわけでもなく、そういった「荒々しい、欲望剥き出しの神話が世界中にはたくさんあって、共通点も多いですよね」ということを、まずは一旦、共有しようと思ったからです。

 今回のテーマは、神話的内容を吟味・精査するものでは、全くありません。ですから、ここで共有した荒々しい物語自体は、今回は全くどうでもいいのです。勝者の歴史であろうが、改ざんされていようが。

 ともかくも、そのような「神話」が成層圏で発生しているーー。

 それ自体が、今回のお話の土台になります。

ヒトは神話の作用を受ける

 私は、仕事柄か地域柄か、神社仏閣巡りを趣味とする方々とお話しする機会が、かなり多い方だと思います。そうした方々から、よく伺うことで、以前から、ちょっと不可解というか、不思議に感じていたことがありました。それは、お一人お一人が「(何か特定の)神様、神話に導かれているような気がする」という言葉を、話の流れでポロッとお話されることなんです。

 日本人の気質なのか、どの方も決して「大きな声ではおっしゃらない」のですが、いろいろと話しているうちに、「実は……そう感じています」ということを、本当によく伺うのですね。そういう類の話は誤解や否定されることも多いですので、むしろ疑ったり恥じらいながら話されるような方がほとんどです。

 そんなお話を聞くうちに、「神話的」な見えないものについて「導かれている」と感じる感性というのは、実は特別なことでは全くなく、ひとりひとり個人的に秘めたるものとして、ひっそりと大切に育まれているものだと感じるようになりました。「私は選ばれし民」などとおっしゃるような方は、私の身近では、誰一人おられません。笑

 以上のことを鑑みて、私は、一つの仮説を立てました。

 神話とは、特別な人に宿るのではなく、ひとりひとりの個人に関わるもの。そう、まるで太陽が、地上を照らすがごとくです。太陽の光は、隔てなく、あまねく地上を照らすように、神話とは、人類にすべからく宿るべき何かの作用だと思われてきたのです。

 成層圏で生まれた「何か」が、私たちに浸透することーーそれが神話の作用。もちろん、気づくか気づかないかの差はあるかもしれませんが、いわゆる選ばれし民だから、より作用を受けるという問題ではないと思えるのですね。青虫なら、かならず変容の時を迎えるように、私たち人間は生きているだけで、かならず神話の作用を受けている。ちょっと乱暴な言い方をすると「受けてしまう」のではないかと。

神話の作用とは

 ご自身に、神話の作用なるものに気づく流れというのは、個人差があると思います。ただ、よく伺っていたパターンとしては、人から誘われたり、ふと足が向いたお社に入ると、やたらと「同じ名前」の御祭神さんが目に入る。→「その神様ってなんだろう?」と考え始めるや否や、テレビで、あるいは誰かとのメールやLINEのやりとりで、あるいは書物の中に、その神様にまつわるご利益や種明かしをふいに発見する……というような流れが、ある一時期、集中的に起こるというようなことが始まりです。

 人は、そんなときに「目に見えぬ何らかの作用」を覚え、自然と敬虔な気持ちになるようなのですね。ざっくりとした荒い言い方になりますが、「神様は居る!神話は存在する!」ということに意識が向かい始めます。あなたも、大きな声でおっしゃられなくても、ひょっとしたら、そんな秘めたる崇敬神を持たれているのかもしれません。

 (ちなみに、こういう話をすると誤解をする方がたまにいるので、念の為に補足。→そんな存在をあえて持つ必要は全くありません。崇敬神がいることと幸福感をひっつけて考えないでくださいね。神様を信じることで幸福感が湧くのはけっこうなことですが、幸福感自体は、信じる信じないに関わらず「ある」ものですから、本質的に関連はありません)

 そんな感じで、最初、神話に対する敬虔さは、一種の特別視や神聖視によってはじまる場合が多いように思えます。その段階では、神とは、自分以外の、「外」の存在です。

 つまり、目に見えぬものに対する敬虔さを覚えることとは、当初は「内」と「外」の分離感の発見でもあります。これを言っちゃアカンと思われたらごめんなさいですが、「あの人、イヤねぇ」とため息するときに、心奥で発生していることと同じだということです。いや、もちろん「神さま」を思うと敬虔さが湧き、「嫌いなあの人」を思うと嫌悪感が湧く、というような大きな違いはありますが、それは感覚の「種類」のことです。

 「あの人」「私」「神」ーー全部が、それぞれに隔てられた、「別個」の存在として認識しているということ自体は、私たちは「分離」でもって周囲を見ているという、大前提に気づかされてしまうのですね。しかし、分離で始まった神話への敬虔さは、そのまま「守られている」との感傷へと繋がっていきます。そして、その感傷によって、別の次元に運ばれていくように思えます。遅かれ早かれ、神話との「一体感」を覚えるようになるからです。「神話が自分に流れている。自分の中に生きている」という一体感です。

 そうなると、神話の世界と自分との分離が消えます。神話との統合が起こり始めます。

 神話との統合は、実は、案外簡単です。自分より「上」だと判断し、敬虔さが湧くものに対しては、人は心を開きやすいからです。ただし、本当に興味深いのは、ここから先かもしれません。「嫌いなあの人」への見方も少しずつ変化してくることです。嫌いな人を急に好きになるというような話ではないのですが、イヤな人間も、同じように神話の中にいると思えるようになる。そうなると、嫌いな人を嫌いなまま(存在を)認めることが可能になってきます。

 さらに、イヤな部分とは、そもそも自分の中に存在するからこそ認識ができたのだとわかると、手を離すべきものの正体がわかってくるからです。相手を変えたいと願う発想が抜けおちていきます。神話以外のものとの統合がはじまります。いいえ、大きく捉えて、ここまでまるっと神話との統合・作用と言ってもいいかもしれませんね。

【02に続く→】


 

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著者について

Author:mi-ke
岩倉ミケ:奇想庵主宰
京都タロット宙のメサージュ ®創始者
ヘナチョコ神秘学講師
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