すべてはより自由であるための出来事

1週間前、実家のある地域の大きな病院から電話が掛かってきました。

母が救急車で運ばれたという一報でした。

ここのところ、体調が良くない話を聞いていたので、
特別、驚くことはなかったです。

 

ただ、これは、だいぶ語弊のある言い方ですが、

(じゃまくさい)

という考えが起こってきました。

 

このブログを見てくださっている方には、なんとなくわかるかもしれませんが、

私は、先日、出版したばかりで、

文字通りワクワク✨して、作業にいそしんでいて、
「楽しみにしてます」というご感想も、ちらほらいただいていたので、

その一報に、何か「水を差された💧」ような気分を覚えたからなんです。

上がっていたはずの心が、ガクっと落ちる音がしました。

 

この時の私の心こそ、エマージェンシー🔥。笑

まさにレスキューを必要としていました。

 
かといって、もう、誰かや何かの慰めや共感などいらない、と強く思いました。

 

「全く新しい発想をください!」

 

ふと、京タロを引きたくなりました。

 

三柱鳥居法で出したカードは、

 

勾玉の帝|17.ハタ(R)|勾玉の四

でした。

 

・勾玉の四……「よろこびが膨らむ」

私「なんじゃそりゃ?わけわからん。」

 

・ハタのリバーシ………女性の仕事。そうは見えなくても。

私「これが女の仕事とは断じて思わんで!」

 

・勾玉の帝……すべては幻想。私の思い込み。

私「これは、なんかわかる」

 

まず、鍵となるカードの勾玉の四の「膨らむ喜び」というキーワードから、
私は、今回の事態を、ただ単に「困ったこと」とか「じゃまくさいこと」
(あるいは、かわいそうなこと……など)

という反応をやめ

私の「喜び」が膨らんでいくことなのだという、
全くわけのわからない指針(笑)を、とりあえず採用してみることにしたのです。

 

もちろん、喜びが膨らむ方向性だから、
寄り添わないという在り方で接するのもありだと思うし、
(お互いが、より自分の中心でいられるために)
そっちが正解の人も、案外多いとは思います。

(私自身、今までは、こっち↑の方向性でした。)

 

ただ、今回は、ちょっと違っていました。

なぜか、この事態を「喜び」という意味づけにしてみようと決めたくなったのです。

要するに、このわけわからなさにワクワクしてしまったのです。

 

ワクワクって、「出来事」を選ぶ って思いがちですが、

本質は、ワクワクする「感覚」を選ぶってことなんですね。

(ワクワクの)出来事を選ぶというのは、
ワクワクの感覚へのスイッチであり近道であるなら、それがベスト。

でも、
出来事を選んだだけで、心が弾んでいなかったら、まるで意味がありません。

 

その時点で、私が、最高にワクワクしたことは、

「この、全くワクワクしない事態に、どうしたらワクワクできるのか?」

という冒険心のようなものでした。笑

 

そして、その時、決めたことは、

瞬間瞬間に、自分の思うことを言い、やりたいことをやる。

この延長線上に、母に寄り添うという在り方もありました。

 

なので、

その時その時を思ったようにやっただけで、
細かいことは覚えていませんが、

振り返ると、今回、母と二人で過ごしたことで、
私自身の、現在の生活に対する思いとか、死生観も話すことができて、

それは、一般的には、
私は、娘としてとんでもないことを言っていたかもしれません。

 

死ぬことは(終わりじゃないから、時期がきたら)ええことよ。

とか、

(終わりがないのをわかっているし、夢で会えるし)寂しくても、悲しくはないよ と、

たぶん、そんなことを言ったように思います。

 

死生観に関しては、母は決して同意をしていたわけではないけれど、

「ミケから学ぶことがあった」と母は言いました。

こんなことを言われたのははじめてでした。

 

部屋の掃除とか、話を聞いてあげることなど、
母からのリスエストは、大げさなものではないけれど、
“私が、私からブレなければ”
ほとんどストレスなく手伝ってあげられることも発見しました。

 

京都に戻ってきてからも、
母とは毎日、電話で体調の報告を聞いていますが、

そのやりとりの中で、母から

「アンタは、私の先生になったな」と言われるまでになっていました。(笑)

 

反応を期待しないで喋るというのは、身近なもの同士というのは、
(甘えが出やすく)
少し難しい面がありますが、

 

私が、私であるところからズレずに表現するには、
むしろ、これ以上ないトレーニングとなる気がしました。

 

このことに気がついて、
私はようやく、《勾玉の帝》の意味──

──出来事と本質は別物で、
出来事とは、ただのメルヘン
──だとわかってきました。

 

意味をつけるのは、状況ではなく、「私」です。

 

私は、母の体調不良を、私にとっての「ワクワクする」事柄に変えたのです。

そして、ここでやっと、「17.ハタ」──女性の仕事──という意味は、

「仕事する女性」としての私は、
今回のことから隔てられているわけではなかったと思いました。

 

今までは、これはプライベートなことで、
仕事と分けていて、(それが当然だと思っていたから)

だから、
仕事の充実とプライベートの充実は相反するものだったけれど、

今後は、おそらくですが、連動するようにいずれも充実させる道というのが、
出てくるのかもしれないなぁと予感
し始めています。

 

私は、出来事に対して、意味づけを選ぶことに決めました。

今回のことで、自分の出来事の意味づけは「自分だけ」しかできないことがわかりました。

今までと同じ反応を選ばなくてもいいんです。

 

母が倒れても、思うように仕事ができなかったとしても。

 

一見、ネガティブな出来事でも、それに対する、ただの反応をやめることを覚えました。

 

これは、大きかった。

 

私は、これから、ますます、自分のサインを聴きながら、

遠回りに見えても心地の良いマイペースを守り、

心地よく、気分良く、もっと楽しむ方向でやっていけるという自信が生まれました。

 

私の本質は、自由。
より自由であることを体感するための出来事しか起こらない。

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