「焦り」を落とすと

思えば、長い間、私は「焦り」というエネルギーを握っていたように思う。

時には、それを持っていないようなふりをしていたけれど、

たとえば、

なにか、ソワソワする具体的事象が「ない」時でさえ、焦りを味わっていた。

 

いや、もっと厳密に言おう。

ソワソワ感を、選択していたのだ。

 

ほぼ自動的に、その感覚に周波数を合わせて、

ソワソワしていたにすぎないのだけど。

 

でも、今日は、どういうわけか、

私は、ソワソワ感を抜けることに成功した。(あるいは、外した)

 

とても、単純な話だ。

 

ソワソワを味わっていること、焦りを感じていることに、気づいた。

そして、「焦っているということは、委ねていないこと」

というフィーリングがきた。

そのフィーリングに耳を傾けた。

 

そして、

「だったら、委ねよう。全部。」と素直に思えた。

「全部を、まかせて、委ねよう」

そう思った。

焦りが 落ちた。

 ……

 

安心。

一言で言えば、安心。

 

そういう心境に包まれている。

 

そう、これが、欲しかったんや。長いこと。

 

何かの栄光や勲章や手柄なんかではない。

ましてやお金なんかではない。

 

こう書くと、物質的なものを否定しているみたいだけど、

そうではない。

 

物質の否定ではなくて、

私の心から欲しかったものが、物質ではなかったという、

確かな発見。

 

この感覚が、私の中で、立脚 する。

おそらく、私の近い将来、現実的な出来事も、

安心を覚える何かが起こるのだろう。

 

私の「内」に起こったものが、ただ「外」に反映しているのが、

現実 なのだとはっきり見えたから。

 

ほんとうに欲しいもの──欲しい感覚──が 得られた。

そのとたん、これだけで十分、幸せで、満たされていることがわかり、

外側の事象にこだわることがなくなった。

 

なに?このパラドックス。

何?このカラクリ。

 

今回のは、とても大きなものだった。

不快さが大きいほど、

それを手放したときのシフトも大きい。