感謝という成仏(探究の終わりについてのつれづれ4)

実は別の記事を書きかけていたけれど、昨日のPさんの記事を、就寝前にお布団の中で読んで感動して、私は、大事なことを「抜かしていた」ということにハッと気づき、別の記事はほかして、この続きを書こうと思う。

ここで、しつこく何度も書いていたように、探究生活が永く孤独で厳しいものであっただけに、今、振り返ると、何も「永く孤独で厳しいもの」である必要なんかなかったと思って、私は自分のかつての探究生活全般を否定していた。
そう言うことで、今苦しんでいる人がいるとしたら「そんなんせんでも大丈夫」と励ましたかったと同時に、私自身も、かつての苦しみを成仏(笑)させられるような気持ちでいたのだと思う。

でも、Pさんの記事を読んでいるうちに(≒記事の放つ何かを感じているうちに)、「ああ、永く孤独で厳しい探究であることも含めて、私は導かれていたのだ」とわかり、初めて、本当に初めて、自分のかつての探究生活に感謝ができた。

抜かしていたことは、「感謝」の2文字。
そして、昔の探究に嫌悪を感じていたことに、こころから謝罪した。嫌がってごめんなさい。

運命は、私に「その経験」をさせる必要があったから、それをさせてくれた。なぜかはわからなくても、とにかく、永く孤独で苦しむという思いを心に湧かせることも、私の大切な「道」の一つだったのだ。
それなのに、その厳しくも強い愛を受け止めきれずに、ブータレてばかりいた。(^^;)
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
私を否定して、私よ、ごめんなさい。

だから、探究で苦しんでいる人がいるとして、今の私が彼に励ましの言葉が言えるとしたら、ただ一つ。「大丈夫、あなたは招かれている」

そう、今、どんな道で、あなたがそれをどんなふうに捉えていたとしても、それは、運命が招待していることそのもの。
そこを通りなさい という 愛そのもの。それで大丈夫、招かれているから。

気づきがあって、今の自分を丸ごと認められるようになってきたけれど、「過去の」自分にまで気持ちが及ばなかった。
たぶん、「今、この瞬間」の自分が認められたら充分と思っていて(まあ、もちろん、それでいいのだが)、過ぎたことについては、なんであれ生ゴミに見えていたけれど(^^;)、そこに感謝できたとたん過去は輝き、去ってゆく。ああ、これがほんまの成仏 やったんや。

過去は生ゴミというのは、過ぎ去ったものを留めておこうとしたりして、無理やり引っ張り出すと、実はもう腐っていた(=生ゴミ)ということが言いたかったのだが、そのまま感謝で、本当の意味で「過去」になるのだとわかった。

…そんな深夜であった。
Pさん、素晴らしい記事をありがとうございました!
そして、運命の女神よ、大神よ、すなわち、ワタクシよ!ありがとう、ありがとう!
もう、感謝 しかない。

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